高卒認定試験合格後は…(キャンパス編)

 大学入試に合格したあと、大学に入学したらどんな生活を送るようにしたらよいか、いくつかポイントをあげておきます。

本を読む習慣をつけましょう

 ほんのわずかな違いが、時間と共に莫大な違いを生むことがあります。その典型が「本を読む習慣の有無」でしょう。この「読書」の中には娯楽としてのマンガ、雑誌は含みません(教養としてなら含まれます)。普通、「自己投資には収入の5%くらいを使う」とされますが、英会話学校に通ったり、演劇や美術館を見に行ったり、映画を見たりしてもよいわけですが、最も手軽な自己投資が読書ということになります。成功者と呼ばれる人はたいてい継続的な読書の習慣を持っており、しかも「乱読」であることが多いものです。月1~2冊しか本を読まないというのは論外と言うべきでしょう。1週間に1冊、1日1冊のペースぐらいなら、その辺にごろごろいます。新聞社の書評担当記者ともなると、1カ月に100冊という人すらいます。
 仮に1週間に1冊のペースで読む人がいるとすると、1年間で50冊の本を読むことになります。これが10年続けば500冊、20年続けば1,000冊となりますが、1冊の本はさらに数十冊の本の内容を圧縮しているとも言えるので、実際にはその数十倍の本のエッセンスに触れていることになるのです。20歳前にこうした習慣を形成した人が40歳になるまでに到達しているレベルを考えると恐ろしい限りです。また、1日1冊のペースで読む人なら、この7倍の基準となるわけです。
 これは単なる「読書術」ではなく、「情報処理能力」を高めるという次元の話となってくるのです。ここまで来れば、「読書」は単なる「読書」ではなくなり、自由自在に「情報」を駆使するという段階に入るのです。

旅をしましょう。

 「旅と読書で自分を肥やしなさい」とはよく言われることです。人生は1回しかなく、自分が経験できることに限りがあることを思えば、読書を通して多くの人生に触れ、旅を通して生きた知識に触れることは重要でしょう。1人旅もいいですし、グループ旅行もおもしろいものです。てくてく歩く旅もよければ、サイクリングもいいですし、ヒッチハイクも刺激的です。山に登るのも、海で泳ぐのも、神社仏閣を訪ねてみるのも、それぞれ一興があるものです。
 かつて、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学を卒業した学生は、「グランド・ツアー」と称してフランスやイタリアを旅行し、自らの学業の仕上げとしていました。ヨーロッパ大陸の先進文化や古典文化に直接触れ、精神を豊かにしていったのです。こうした伝統は、今もヨーロッパの一部に残っています。
 旅はまた、「自分への旅」「内省の旅」でもあります。時には孤独な時間を作り出して、心ゆくまで休んだり、のんびり本を読んだり、自分を見つめ直す時間を取る必要があるものです。少なくとも1年に1度はこうした「旅」に出て、リフレッシュしてみましょう。

本物に触れましょう

 「本物」にたくさん触れ、そして「人物」に出会わなければなりません。時間を見つけて美術館や博物館で一流の作品に触れ、演奏会、文楽、演劇など、それまで見たことも触れたこともないようなものにどんどん触れていきましょう。一流の目を養うには一流のものに触れて、目を肥やすしかありません。一流のコックは必ず一流の味にたくさん触れて、舌に覚えこませているものです。
 生活必需品を「安かろう悪かろう」で節約して済ませる一方、「一点豪華主義」で何か1つはいいものにこだわるというライフスタイルもあります。いずれにせよ、時々は、あるいは何か1つぐらいはお金をかけて、「一流」「本物」とされるもので自分を磨いていく必要があるのです。
 また、例えば美術館などに行く時、1人では行かず、何人か連れ立って行くのもおもしろいものです。「この中で自分がイチオシの作品はどれか」と館内に散らばって、再び集まった時、それぞれがプレゼンテーションをするのです。自分とは違う、人の見方に教えられることが多いでしょう。

いろいろなバイトを経験してみましょう

 本格的に働くのは社会に出てからということになりますので、バイトをする場合は金儲けという以上に社会勉強という要素が強くなります。社会に出てから転職を頻繁に繰り返すのはデメリットもあり、在学中に自分をいろいろと試すのがよいでしょう。学生生活が勉強とサークル活動のみで終わったというのは寂しい話です(もっとも、バイトだけで終わったとしたら、もっと寂しい話ですが)。社会に出て行くための準備として、バイト体験は貴重なものなのです。経済観念、ビジネスの基本、対人接客のマナー、各種業界の知識など、吸収すべきものはたくさんあります。
 また、将来、目指している職種によっては、在学中にバイトからその仕事に入っていくことが不可欠な場合があります。例えば、医療スタッフの中で人気のある診療放射線技師などは、国家試験の合格率が低く、難しい試験でもあることから、学校で学んでいる段階から現場に出て、専門的知識や技術を習得する人がけっこういます。また、放送業界であれば、バイトで現場に入り込み、仕事を覚えつつ、人脈を広げて口コミとコネで卒業後の仕事につなげていくことは普通に行われています。
 いずれにせよ、多様な職業経験、豊富な職歴は早い時期であればあるほど、人間性を豊かにする点でプラスに働きやすいのです。

ボランティアもたまにはいい

 ボランティアは是非経験すべきです。人によっては人生が変わるほどの衝撃を受けます。そこまでいかなくても、物の見方が大きく変わることは確実でしょう。福祉施設を訪問するもよし、バザーで福祉商品を売るもよし、行政の福祉課を訪ねて話を聞くもよしです。あるいは世界に目を向けて難民救済やアムネスティ・インターナショナルやユニセフの活動に参加することもできます。
 こうした実体験からおそらく2つの事実に直面するでしょう。1つは現状のやりきれなさ、もどかしさであり、もう1つは人の心に対する不信と感動です。例えば、心や体に重い障害を持った子の親達は1度は自殺の誘惑に駆られると言います。「自分が死んだらこの子はどうなるのか」という不安がつきまとい、子供以上に親が追い詰められていくのです。身近にそうした存在がいなかったとしても、こうした現状の一端に触れると、一体自分に何ができるのか、何をどうしたら解決できるのか、訳が分からない境地に追い込まれます。実社会には答えの無い問題がごまんと転がっています。受験勉強のように答えが1つに決まっている問題など、例外中の例外と言えるでしょう。
 また、人に福祉への協力を呼びかけ、お願いする時、人は決してお金があるからボランティアに参加するのではないことが分かるでしょう。高級住宅地の1ブロックに悠々と1軒かまえている人でも嫌な顔をする一方、日雇いのおじさんがうんうんと話を聞いて夕食代を全部出すなんてことも起きるものです。さらに衝撃的なのは障害者の方が、障害者のために協力をすることすらあることです。自分も援助を受ける立場なのに、話を聞いて涙を流し、なけなしの協力をしようとするのです。「何て人は冷たいんだ、もう人は信じられない」と落ち込むこともあれば、「人っていいな、捨てたもんじゃないな」と心に灯りがともることもあるでしょう。そのいずれも人間の真実の姿なのです。

サークルは成長の場

 大学に入ればサークルは貴重な「自分の居場所」となります。しかし、サークルによって自分が成長することもできれば、逆に自分をダメにすることもあるのです。こうした活動は体育会系と文化サークル系の2つに大きく分けて考えることができますが、いずれにしても単に楽しいとか、彼氏・彼女探しの場という基準で選ぶと、なかなか長続きしません。「なぜ、このサークルに入るのか」という目的意識が明確で、成長動機がはっきりしていれば、多くのものを吸収でき、なおかつそこでできる人間関係は大学を超えて、おそらく一生の付き合いとなっていくので、お金では買えないような友情や人脈を築いていくことができるのです。こうしたスタンスであれば、複数のサークル活動を展開することも意味がありますが、そうでなければいくつ掛け持ちしても一緒です。ただの「たまり場」が確保されたに過ぎません。
 大学内は広いようで意外に狭いものです。大体似たようなレベル・意識の人達が集まっているのですから無理もありません。できればインターカレッジのサークルに参加しておきたいものです。大学を超えた交流が始まり、各界各層とまではいかなくても、多種多様な人物群との交流が可能になります。大学も国公立と私立では全然雰囲気が違い、女子大やミッションスクールはさらに違います。友達の幅の広さはそのまま人間の幅の広さにつながるものなのです。

英語学習の習慣化

 英語は国際語としての位置を完全に確立したと言っても過言ではありません。これからますます英語が不要な社会になっていくという可能性は極めて低く、誰もが英語を理解し、使用し、利用する社会に向かっていることは否めないでしょう。英語に真剣に取り組むことは、避けて通ることのできないテーマだと言えそうです。
 英語の勉強を習慣化する一番簡単な方法は英字新聞をとることです。もっとも、隅々まできちんと読む必要はありません。「全部きちんと読まなきゃ」という強迫観念に追われると、あっという間に続けられなくなってしまいます。朝日新聞を取っている場合にはヘラルド朝日を、読売新聞を取っている場合にはデイリー・ヨミウリを取って、日本の新聞をまず読んで現状を把握した上で、英字新聞のヘッドライン(見出し)・リーディングに入るのがよいでしょう。
 最初の数カ月は見出しだけ読んで、あとは捨ててもいいぐらいでしょう。そのうち関心のある記事が出てきたり、スペルミスを発見したり、見出しのうまさに手を叩いたりすることも出てくるでしょう。勢い込んで始めてすぐに挫折するよりは、「適当に」「いい加減に」読んで、長く続ける方がよっぽど良いのです。やがて、慣れてくればニュヨークタイムズ・ウィークリー・レヴューのような週刊紙、タイム、ニューズウィーク、エコノミストといった週刊誌に少しずつ手を広げていけばよいでしょう。ここで気をつけたいのは、これらの記事はインターネットで無料で入手できることもあり、お金をかけずに英語の勉強ができると飛びつきやすくなりますが、皮肉なことにある程度できるレベルの人でなければ、ネット上の無料情報を駆使することもできないのです。最初はやはり期限を決めてでも、お金を払って紙媒体を購入し、辞書を地道に引いて単語・熟語を確認する方がよいでしょうね。

山に登りましょう

 「山登り」は「人生」に似ていると言われます。途中はつらいばかりで、休みたくなるし、いっそのこと止めてしまえと何度も思うわけです。しかし、仲間と励まし合ったり、山水でのどを潤したりして元気づけられ、あるいは見え隠れする頂上に「もう少し、もう少し」と思わされて、とうとう頂上に達すると、それまでの苦労がウソのように消えて、「あー、最後まで登り切って本当によかった」としみじみ思うのです。こうした体験を持っていると、逆境に遭った時、「それでもそれでも」と乗り越えられるでしょうし、一度そうした乗り越えた経験を持つ人はまた新たな逆境に遭遇した時、乗り越える力を与えられるものです。実際、人が逆境を乗り越えられる、最後の原動力は「かつて逆境を乗り越えたことがあるという体験」であるとされます。となると、そうした最初の体験を如何に持つかということが重要になってくるのであり、こうした観点で見ると「山登り体験」は「人生の縮図」のような様相すら帯びてくるのです。
 また、人によっては道に行き詰まった時、充電期間を確保する時、「山ごもり」をするという人もいます。1つの転機を迎えた時にいったん日常生活を離脱し、自分を見つめ直す時間を取ろうとするわけです。

映画もいいですよ

 「外国へ行ったら、必ずその国の映画を見て、その国の人の心情を学びなさい」とよく言われます。その国で愛され、受け入れられている映画というものは、その国の人の気質、性向、特徴に合っているからそうなのであり、異文化を知る上でまたとない材料となるでしょう。
 また、レンタルビデオで話題の映画を安く見るのもけっこうですが、古典・名作と呼ばれるものもたまには見てみましょう。現在の映像技術からすれば幼稚な部分もあったりしますが、「いいもの」はやはり「いいもの」です。時を超えて心に迫ってくるものがあるでしょう。
 そして、洋画(英米系)に関しては、ストーリーが完全に分かっているものなら、英語の勉強として活用することもできます。これは好きで頭に入っているものなら何でもよく、007シリーズを使った人もいれば、ダイ・ハード・シリーズを使った人もいます(スラングが多かったり、破格の言い方が多いものは避けた方がいいですが)。標準的で分り易い英語を使っている映画を選んだ方が無難です(こうした映画で使用されている英語のレベルを教えてくれる本も出ています)。慣れてくれば、気の利いた言い回しをものにできたり、訳の不適切さや間違いに気づくようになります。

新聞は必ず取りましょう

 新聞は絶対読まなければなりません。情報戦略を持たない人が何事か成そうとしても、それは無理な話です。重要な政治的動きも経済動向も社会の変化も、ある一定レベルに達すると新聞で取り上げられるテーマとなり、場合によっては世論形成に向かっていきます。もちろん、メディアとしてはテレビもラジオもインターネットも出版物もありますが、現行媒体としては巨大な知的インフラたる新聞の存在は無視できないところです。
 新聞を情報ツールとして使いこなすには、おそらく3~5年はかかると思われますが、とにかく急いで定期購読に入りましょう。とりあえず、読売・朝日・日経がすぐに候補に挙がりますが(他にも毎日・サンケイ・東京などいろいろとありますが)、まずメインを決めましょう。ジャーナリズムとしての総合力なら読売、サイエンスやヒューマニズムにセンスを発揮する知的な朝日、経済関連ならダントツの日経など、それぞれ特徴がありますから、目的や相性に応じて選ぶとよいでしょう。ここで重要なのは、可能であれば複数紙を取って、比較分析をすることです。マスコミは必ず偏っているものであり、「中立公正な立場」など存在しません。1紙しか取らないと、その紙面で取り上げられている視点・見解を鵜呑みにしてしまう危険があり、そもそもそこで取り上げられていないものに関しては、知りようがなくなってしまうからです。したがって、例えば読売-サンケイ、朝日―毎日といった系列の似た新聞を取るのではなく、読売―朝日、読売―日経、朝日―日経というように異系列の新聞を取るのがベストです。

友達、先輩、後輩は貴重なもの

 人脈、人的ネットワークというものは実に貴重な、得難いものです。例えば、「情報」というものに非常に意識の高い、ハイレベルな人が自分と同レベルの10人の友人を持っていたとします。その人達の友人についての話でも、「実はこういう話を聞いたことがある」とその情報を自分のものにすることができます。直接情報源は10人でも、間接情報源としてさらに100人のネットワークを持っているようなものです。もしこの知人ネットワークが情報ネットワーク化したら、空恐ろしいことになるわけです。欧米ではこうした交流関係の形成が盛んですが、これは無形の財産作りと言ってもよいでしょう。
 こうした利害得失はともかく、友人の有無・質はその人の人生を作用する大きな要素となります。大学時代にできる友人は一生モノなので、いい友人にめぐり遭いたいものです(そのためにはまず自分を磨かなければなりません。「類は友を呼ぶ」という原則は生きています)。夜通し語り合う友人の1人や2人いなければ、少々寂しいと言えるでしょう。「親友は何人いますか?」と聞かれると、「親友ってどのレベルの友達ですか?」と聞き返されることがありますが、これは「親友」がいないからです。「仲のいい友達」「遊び友達」「バイト仲間」はすぐにどこでもできますが、「親友」は簡単にはできません。まだいない人は「親友」を得ることを目標とすべきです。

「勉強」ではなく「学問」に触れましょう

 大学はそれまでの小学校・中学校・高校のような「勉強」をする所ではありません。教わりに行く所ではなく、学びに行く所であり、「学問」に触れる所です。そこで保障されているのは「自由」であり、4年間という「場」です。これをどう活用するかは各自に任されていることであり、目的・志を持った人には限りない可能性をもたらしてくれますが、それを持っていない人にとっては逆に自分をダメにしかねない要素すら持っているのです。
 さて、「学問の本質とは何か」ということに関して、社会学者マックス・ヴェーバーは「それは驚きである」としました。何かに気づき、発見し、論証し、その成果に「おお、これは!」という「驚き」の声を上げること、これが大切だということなのでしょう。実際に「学問」に開眼するきっかけとなることは、いわゆる「本物」に触れ、「驚き」の声を上げることであることが少なくありません。少なくともこうした「驚き」体験が、学問の本質にはなければならず、それがないものはただの知的体系、ただの知識の集積でしかないのです。もう一歩踏み込んで、「学問とは衝撃である」と言いたいところですが、いずれにせよ、こうした驚き・衝撃を1度も感ずることなしに、学問の世界を知ることは不可能でしょう。
 きれいな夕日など、何かに心から感動した時には「ちょっと、ちょっと、こっちに来て、これを見て!」と、頼まれもしないのにその感動を人に伝えようとするものです。同じように学問に触れて、驚き体験・衝撃体験をしている場合には、その感動を人に伝えずにはいられなくなるのです。したがって、教育の本質は「感動」体験にあると言ってもいいかもしれません。

日記をつけてみる

 「自己との対話」は自己の成長にとって不可欠の要素です。そのために最も有益なツールが「日記」です。といっても毎日こまめにつけるものではなく、何か思いついた時、いいものに触れた時、それを何でも書き留めておくような「雑記帳」がベストです。これは書くことに意味があるのではなく、その中身に意味があるからです。時には「詩」を書いてみるのもよいでしょう。
 人が成長していく上でどうしても克服しなければならない課題の1つとして、「孤独」があります。「自己との対話」を持たない人は周囲の人を頼るしかなく、常に人と話していないと落ち着かなくなってしまいます。時には自分と向かい合い、「自分は何がしたいのか、何を悩んでいるのか、どうすればいいのか」と深く沈潜する必要があるのです。中には「自分は考えすぎてなかなか踏み出せない」という人がいますが、これは逆に考え足りないのです。考えているといっても、同じ所を堂々めぐりしているばかりで、「あらゆる角度から考え抜いて、どう考えてみてもこれ以外の結論が出ない」という所まで到達していないのです。本当に考え抜いてここまで到達した人であれば、もう考えません。考えてもムダだからです。後は行動あるのみで、その中で新たな情報、知識、経験が生じてくれば、考えも変わってきますが、それまでは「現時点でのベストの答え」を出しているのですから、考えるだけ時間のムダになります。
 ところが、これを頭の中だけでやろうとすると、よほど頭のいい人でない限り挫折します。最も現実的な方法は「目で見て考える」「ビジュアルに考える」ということで、ここで日記を駆使する意味が出てきます。特に優先順位もつけず、気の利いたことを書こうとも思わず、ひたすら思いつくままに書きなぐっていくと、だんだん書いている中で整理されてくるでしょう。孤独を乗り越え、挫折を克服した経験を1度持てば、またそのような試練がやってきた時、「今度も大丈夫」と言い聞かせることができます。
 ここで1つ、気をつけなければならないのは「自意識過剰」でしょう。「孤独」と対決した人であればあるほど、この問題は大きくなります。これは人間関係なくして克服できません。「自己との対話」と「豊かな人間関係」は車の両輪のごとく、どちらが欠けても目的地に行くことを妨げるのです。

単位は上手に取りましょう

 大学に入れば、学生の義務として単位を取らなければなりません。
 授業の中には講義・演習(ゼミ)・実験などがあり、出るべき価値があるもの、出なければならないもの、単位さえ取ればいいもの、とはっきり分かれてきます。授業概要などで内容を吟味し、自分が学びたいと思うもの、進級上や資格取得上、必要なものをよく見極めて受講登録をするわけですが、残念ながら日本の大学の教授先生達は研究のプロではあっても、教育のプロであるとは限りません。授業の中には教授本人が書いた本の内容を1年かけてやるだけのものもあり、そんなものはその本を買えば、1週間で終わる内容ですから、1年かけて出席する意味はありません。出席を取らないようなら、さっさと見切りましょう。基本的に出席が厳しいのは語学系、資格関連系、ゼミ系なので、それ以外はテストかレポートで単位を取りさえすればいいのです。ノート係を割り振って共同で対処するような、チームワークのいいクラスに恵まれればそれを利用し、バラバラなクラスなら試験前1週間には必ず出席して、隣の人と友達になり、その場でノートを借りてコピーし、授業中のうちに返しましょう。4年生になって卒業がかかっている時には、試験が終わった後、ヤバイ科目は必ず教授の研究室か家に電話を入れて、「就職が決まっているんです。レポートでも何でも出しますから、お願いします」と泣きを入れましょう。たいていは自分の担当科目のみで卒業を1年延期させ、決まっていた就職も棒に振らせるという事態は避けるものです(鬼のように厳しい人がいますが)。しかし、間違っても手土産を持って訪ねることはしてはいけません。
 レポートは簡単です。最初は独創的なペーパー(卒業論文はなるべくこれを目指すべきです)を書こうとするよりも、数冊の本から使える箇所を抜き出し、つぎはぎしてまとめて仕上げましょう。本を探すことも、何が使えるか見抜けるようになるのも訓練です。後々、社会に出てからも文章作成能力は必要とされるので、在学中に一定レベルはできるようにしておきましょう。

取れる資格は取っておきましょう

 日本の社会は「学歴社会」、それも「最終学歴主義」であることは論を待ちませんが、少しずつ「学歴よりも即戦力」「ブランド・ネームよりも実力・実績」といった風潮が出始めています。東大・早稲田・慶應といったトップ・グループなら、研究室などに指定席があり、「座して待つ」ということもあり得ます。しかし、中堅以下の大学ならネームに頼ることなく、自分で自分を磨き、売り込みをかけていくぐらいの心意気が必要です。
 今は、昔のように何十社にも資料請求し、OBと会い、面接試験を重ね、内定を取っていくというプロセスの前に、ネットでエントリーした段階で蹴られるということも増えてきました。早々と内定が決まる人と、何十、何百社回っても全然決まらない人と、二極化傾向も起きています。つまり、在学中に何をしてきたのか、どんなことができるか、どんな資格を持っているのか、どういう仕事をしたいと考えているのか、こういったことが問われてくるのです。昔のように体育会に入って、幹事とか役をやっていると有利といった時代は過ぎ去りました。在学中からネット・ビジネスに携わり、起業する人物も出てくる中、実力・実績志向、即戦力志向はますます強まってきていると言ってもよいでしょう。
 取れる資格は極力取っておき、留学制度があれば短期・長期を問わず、それに参加し、職歴・キャリアもすでに手をつけられるものなら手をつけておきたいところです。在学中は「最大の自己投資期間」ですから、これを有効に活用しましょう。

「自立」の準備をしましょう

 在学中は親の援助を受けている人がほとんどですが、この期間に「自立」の準備をしなければなりません。「自立」には、精神的自立、経済的自立、社会的自立の3段階がありますが、最低でも第1段階、できれば第2段階に部分的には入っておきたいところです。「自立」の反対は「依存」であり、これは多くの面で人の成長を妨げます。自立・独立のないところに結婚はなく、また家庭なくして社会的貢献も難しいところです。日本はまれに見る母性社会なので、なかなか難しい面もあるのですが、自分自身が自立志向・独立志向の意識を持つことは大変重要です。